創屋ぷれす

能登半島地震 (令和6年1月1日)

令和6年 能登半島大震災

能登大震災

△のと里山街道の実際の写真です。
息子の友達が、車で移動中に遭遇した光景。

連日に渡って、新聞やテレビの報道を見るたびに、涙、涙です。
壊滅的、甚大過ぎて、これからのこと、明るいことなんて考えられないです。

今日1/8(日)午前8時より、不要不急の一般車両は、
のと里山街道の一部区間が通行禁止となりました。
交通渋滞が起きて、救援物資運搬などに支障が出ているからだと。
不要不急の一般車両=能登に被災した親のところに行く、まさに私のような者も含まれます。
もー、困る。でも仕方ない。

地震が起きた翌日2日、両親が住む実家の志賀町へ行きました。
のと里山街道は全区間通行止めで、下道で移動しましたが、
まあ、羽咋市に入ってから大渋滞でした。
道中、屋根瓦がずれてる家、ブロック塀の倒壊、
道路に亀裂が入ってたり、橋の付け根はもろく、起伏し段差が出てて危なかったです。

実家は棟が歪み瓦がずれて落下していました。
3日は雨が降って、雨漏りで大変だと。
5日には父の知り合いの業者が2~3人来てくれて、ブルーシートを貼ってくれたと。
結構広範囲に、何ヵ所もブルーシートに土嚢を乗せて固定されていました。

「何言うとるがい、お金は要らん」
ありがたい、持つべきは人脈、頼める人。

何より、断水に困っている。(幸いにも停電なし。)
こういう時、井戸水の家は、いいよね。
水に困らない。
幸いにも、近くの親戚が井戸水、くれるからよかったです。

断水の復旧は、
阪神・淡路大震災で3ヶ月後
東日本大震災で5ヶ月後
だから、今回の能登半島震災も恐らくそれぐらいかかるのでしょう。
まだまし。輪島市や珠洲市に比べたら、どーってことない。

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