創屋ぷれす

人工知能が浸透すると人間の感覚は衰退するか

ふと思ったことがある.
日々の業務の中で,言葉では表現しにくいのだが,「なにかを感じる」ということがある.
危険を察知するとか,そういう類の話.
品質管理的な観点だと,なにか製造ラインで起こっている気がする,といった感覚.

人工知能が様々なシチュエーションで使われるようになったとき,センサーやカメラなどの情報から異常検知をするようになるはずだ.そうなったとき,人間の感覚って衰えていくのではないだろうか.

なんとなく,なにかを感じる,ってことは誰しもあることですよね.
そういった感覚がなくなった時,人工知能が正しい判断をしているのか,ってジャッジを人間ができるのだろうか.

車の自動運転も盛んにテストされている.
自動運転が当たり前になったとき,人間の運転感覚は衰退してしまうのだろうな.
自分で車を運転できるのは,レース場のような閉鎖空間かVR的なものか,そういったところに限られるのだろう.
今,運転免許を取得するために自動車学校に大金をつぎ込んで通っている人たちはいっぱいいるだろうけど,そのうち免許そのものも考え方が変わるのだろうし,勿体無い話なのかもしれない.

若い頃,現場にとにかく足を運べ,現物を見ろ,と言われた.
そうすることで,感覚は確実に鍛えられた.
そういった過程を経ていない人間が最終工程だけ管理するとかになったら....

そういう心配すらしなくていいところまで人工知能は進化するのだろうか.
人間は,どこに存在するのだろうか.

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